思い出の中のお母さんと
今の認知症のお母さんとの
ギャップに傷付く人のことを
書いてみます。
目次
認知症になったお母さんの話を聞いて
久しぶりに会った友達でした。
会った当日に彼女の口から
堰をきったように溢れてきたのは
彼女のお母さんの認知症の話でした。
何年間も合っていなかったのに
スーパーのお豆腐売場で
お母さんの認知症の話を聞き、
2人で泣いてしまったのです。
(こちらの記事です)
何日か後に
電話がかかって来ました。
彼女はお母さんの介護の辛さを
誰かに喋りたいようでした。
あんなにお洒落だったお母さんなのに
「お母さんがお風呂に入りたがらなくて困ってる。
髪はベタベタで肌は粉だらけなの」
と彼女は言いました。
私は心の中で
「あんなにお洒落だったお母さんなのにね。
悲しいね。」
と思いましたが 口には出しませんでした。
「お母さんが口汚く自分を罵る」
と彼女は言いました。
私は心の中で
「いつも思いやりあるお母さんだったのに。
私にも優しくしてくれたよね。」
と思いました。
でもやはり口には出しませんでした。
「お母さんが他の人に貸してもいないお金を
返してもらってきてと言う。その時の
お母さんの声が金切り声で別人みたいなの」と
彼女は言いました。
私は「静かな、優しい声だったのにね。
あなたのお母さんと話す時
私も心が落ち着いてたんだよ。」
と心の中で思いました。
でもやっぱり口には出しませんでした。
別人になったお母さん
彼女は自分を育ててくれて、
綺麗でおしゃれで
優しい喋り方のお母さんと、
病気のせいで
別人のようになってしまったお母さんとの間で
心がぐるぐると落ち着かず
悲しんでいます。
スーパーのお豆腐屋さんの前で
私が彼女に
「あの綺麗なお母さんが?」
と口走ってしまった途端
みるみる泣いてしまった彼女の顔が
頭から離れませんでした。
だから、電話口で私は
「そっかー。」としか言えませんでした。
私にはその時、判断できなかった
私の知っている、
彼女の素敵なお母さんの思い出。
それを口に出した方が良かったのでしょうか?
それを聞いて、
彼女は思い切り泣きたかったのでしょうか?
今の彼女が泣いた方が良いのか、
それとも泣かずにお母さんの愚痴だけを
言ったので良かったのか・・
電話で話を聞いている間には
私には判断できませんでした。
だから馬鹿みたいに
「そっかー。」
「そっかー。」
と繰り返すだけの私でした。
悲しい気持ちのおすそ分け
電話を切ってから
彼女の悲しい気持ちのおすそ分けをもらい、
しばらく私も机に座って
ぼんやりしていました。
そしてやはり「そっかー」だけで良かったのだと
思いました。
彼女の頭の中には
以前の綺麗なお母さんがいて
彼女自身で何度も何度も現実のお母さんと比べては
傷付いているはずです。
私までそのギャップを口にして
彼女の心がぐちゃぐちゃになる回数を
増やしては可哀想だと思いました。
彼女に会う時は
「そっかー」おばさんとして、
そっかー、そっかーと聞いてあげようと思います。
そして悲しい気持ちのおすそ分けを
少しだけ、頂くことにします。
もしも私だったら・・
父のことを私が愚痴った時、
「かっこいいお父さんだったのにね」
なんて言われるとしたら・・
たぶん私は介護の辛さに
思い出の悲しさがプラスされて
愚痴る前より心が痛むと思うからです。
ただ、介護の辛さを吐き出すだけに
させて欲しいと思うからです。
九星気学で少しだけ心が軽くなるお手伝いが
できます。