我慢し過ぎた母と娘の関係 母の命日に思う事

日々の気づき

目次

愚痴を受け止めるのは長女の役目?

3月3日。
今日は母の命日です。

私の母は60歳でパーキンソン病を患い、
どんどん衰えて死んでいきました。

私の知っている母は地味な人ですが
生い立ちを考えると
随分と波乱万丈だったな、と思います。

地元の名士の家に生まれて
何不自由なく育ってきたのに
多感な娘時代に自分の父親が親族にだまされて
不動産も財産も、一気に失ってしまいました。

何とか手元に残り 一家の収入源であった
数軒の小さな貸し家も
家族で一時期 田舎で暮らしていた間に
お手伝いさん夫婦に占領されて
貧乏な生活に突き落とされたのです。

それでも結婚し 私と妹を育てていた頃は
母の人生で充実した時期だったと思います。

けれど皮肉屋で人嫌いな所が有って
ご近所の悪口、自分の夫の悪口は
長女である私が受け止める役でした。

その頃は母に頼られるのが嬉しくて
傷付いた母が可哀想で
喜んで母の愚痴の聞き役に回っていました。

私の父は基本的には
穏やかな人ではありましたが
母の気持ちを踏みにじるような所があり、
母は辛い思いもしていました。

私は母の分身ではない

母の口癖は
「子供は私の分身だから」。

母の愚痴担当の私でしたが
成長して自分の世界が出来て来ると
愚痴や恨み言の多い母の
分身だなんて、まっぴらゴメン!と
思っていました。

母は自分自身の事を
不幸だとは思っていなかった、
そう思います。

けれど何か、
いつも我慢しているような、
本当には自分の人生を
楽しんでいない様な、

もう諦めてはいるけど 
幼くて裕福だった頃の気の強さが
たまに怒りと共にパッと煌めくような、
けれど歯を食いしばって黙っているような、

そんなものを私は感じていました。 

私は・・
母が嫌いでした。

嘘はつかず、真面目に子供を育て、
他人にも夫にも逆らわず
静かで節約家で我慢強かった母。

母が亡くなった後、遺産の額を見て
「母はもっと、自分が楽しむべきだった」
と思いました。

母親の我慢のし過ぎは娘を不幸にする

もっともっと、自分のやりたい事は
できたはずです。

何十年も我慢しているうちに
自分が本当は何がやりたいのか
思い付けなくなっていたのかも知れません。

命日にこんな事を考えて
少し可哀想な気もしますが
母は何か、人生の歯車が
かみ合っていなかった感じがします。

私がまだ幼くて母の笑顔が嬉しかった頃に
もっとやりたい事をやって、
父にも言いたい事を言って・・

たまには怒鳴ったり怒ったりしたって良いから
幸せでたまらない、楽しくてたまらない、
そんな顔が見たかったな、と思います。

我慢は美徳でも有りますが、
自分を傷つける事も有ります。

論理的で記憶力の良い母でしたが
我慢のし過ぎで自分の力を
どこに生かせば良いのか
分からなくなっていたのかも知れません。

「死ねばそれで終わり。無になるだけ」
そういう母に 自暴自棄な雰囲気を
私は感じていました。

生きてきた環境を考えると
無理もない気もします。

贅沢に育ってきた分、
その後は我慢して、病気になって
死にました。

気学で考え方の癖を変えたら、幸せになれたかも

もしも もっと早く私が気学を学んでいたら
さりげなく吉方位旅行に誘い、
毎日のお散歩にお出かけ吉方を取って貰って
母の意固地さを少しだけ緩めて・・

考え方のクセをちょっとずつでも
変えて貰う事が
出来たかもしれません。

お母さん・・
あなたは自分で自分を縛っていた。
苦しかったね。

死んだら終わりと言っていたけど、
私はあの世は有ると信じています。
本当はお母さんも、
そう思っていたのではないですか?

寝たきりのまま、喋れなくなって
死んでしまったけど
もしも体が自由に動くとしたら
本当は何がしたかったのですか?

私は長い間
あなたの事が嫌いでした。
正直言うと今も「大好き」
とは言えないけど・・

それでも、
感謝して、
愛しています。
ありがとう。

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