いかがお過ごしですか?
このブログを訪れて下さって
ありがとうございます。
私の父は認知症と言うのとは
ちょっと違うのですが・・・
目次
父の考案した尿取り器
以前 父が足腰が弱って
立ち上がれなくなった時、
父に尿取り器を作れと言われていた事が
あります。
その構造はちょっと考えれば
無駄だと思うようなものでした。
父の考案した尿取り器とは・・
漏斗がついてて
そこに尿をする。
その漏斗からホースをつなげて
ホース内を流れる尿が最終的に
画板のような板に設置された丈夫な袋に
収まるというもの。
ちなみにホースの長さは
自分が寝返りを打つ余裕が必要なので
1,5メートル程度、だそうです。
弱くなった筆圧で紙に図を描き
私に説明します。
その場面を思い出すと
少し悲しい気持ちになります。
父は衰えた頭で衰えた自分の体を
なんとかしようと考えていたのです。
尿瓶の方が100倍良い
でも誰がどう考えても
尿瓶の方が100倍良いです。
だいたい高低差もないのに1.5mのホース内を
尿が流れていくわけがありません。
漏斗をつけっぱなしにして
寝返りなんて出来るわけも無いし、
それに漏斗はどうやって体に装着すると
言うのでしょう?
万一そんなものを使えば
漏斗からあふれた尿で布団や洋服は
毎度毎度大変なことになり、
それを洗濯するのは私なのです。
しかしどんなに説明しても
そんな理屈は父の頭に入ってきません。
とにかく 漏斗、ホース、板に打ち付けた袋、
それらを組み合わせて
自分の体に取りつけると言い張ります。
設計図を見せて
私に作れと言うのです。
いつまでも続く説教
父は 言う事を聞かない私の心掛けが悪いと
度々説教していました。
私は口には出しませんでしたが
「もう 直接尿道にチューブを刺してもらえば
いいじゃん」と思っていました。
その後 肺炎で入院して 実際に導尿されました。
しかもその入院で頭がすごく呆けて
(不思議なことに その後回復)
考案した尿取り器のことは忘れてくれました。
けれどそれまでの3~4か月、
父は尿取り器の事を思いつめて
私に作れ作れと言い、
作らない私に説教を続けていたのです。
入院しなかったらずっと言い続けていたと
思います。
使用済みのオムツを再利用?
一時期、自分の使用済みのオムツを
天日で干して再利用すると
言い張っていた事もあります。
新しいオムツを履かせてもらう度に
オムツを再利用しない私を
ずっと説教していました。
あんまりうるさいので
2回くらいは言う通りにしました。
臭いもきついし、嫌でした。
私の場合は
実際の介護の作業よりも
こういった精神的ダメージの方が
辛かったです。
私は父に説教されながらオムツを履かせている時、
すんなりとオムツ替えをさせてくれて
「ありがと」と言ってくれた母を
懐かしく思い出していました。
懐かしく思い出す母が
オムツ替えの時の母だなんて
あの頃の私はちょっと可哀そうだったなと
思ってしまいます。
健全な関係とは?
今なら私はあの時どうすれば良かったのか
はっきり分かります。
父に「自覚がないかもしれないけど
頭がボケてるよ。
そんなバカバカしい事に付き合うほど
私は暇じゃないの!」
と言い放てば良かったのです。
でも年老いた親にそれを言うことが
できませんでした。
もうすぐ死んでしまうだろう親に
「バカバカしい!」と言ってしまえば、
きっと自分を責めるだろう、
もっと自分は傷つくだろうと 怖かったのです。
怖かったから
我慢する方を選んでいたのでしょう。
私は弱すぎました。
弱すぎる余り言うべきことも言えず
心の中に不満を溜めて、
「もう、死んでくれたらいいのに」
と思っていました。
そんな私の気持ちは
人の機微を観察することしか
やる事の無い父に伝わって、
さらにひねくれた言葉を
喋らせていたのだと思います。
相手が年老いた親であっても
言うべきことは言えば良かったのです。
そのせいで怒鳴りあいになっても
その方がずっと健全な関係だと思います。
どのみち傷つくのなら、本音で付き合う。
にこやかで和やかな介護なんて
夢みたいな話です。
私は自分の心を捻じ曲げながら
そういう介護を演じていたのでした。
2~3年で終わる介護なら
お互いを騙しあうことも
できたかもしれません。
でも介護はもっと長く続くことが多いです。
私の演技には
父本人が、騙されてはくれませんでした。
かえって辛い思いをさせたと思います。
私の考え方が間違っていました。
表面を取り繕わず、
勇気を持って子供のころからの親子関係を見直し、
本音で付き合えば良かったと思います。
あなたの隣にいる人と
上手にコミュニケーションを取る方法が
分かります。