様々な気持ちを体験するのがハッピーな人生

介護問題

いかがお過ごしですか?

このブログを

今年も訪れて下さって

ありがとうございます。

 

入院中の父の事を

書きたいと思います。

 

目次

回復はしたけれど

誤嚥性肺炎で入院した父ですが

抗生剤のお陰で

すっかり回復したようです。

 

入院したり退院したり

行ったり来たり、

忙しい事です。

 

回復はしたのですが

お正月3が日のうちは

退院することが

できません。

 

回復すると父は

看護師さんやヘルパーさんの

様子を観察し、

批判を始めます。

 

入院すると大概のお年寄りは

頭が呆けます。

 

入院はダメージが大きい

父も看護師さん達への批判は

驚くほど的確ですが

やはり言動はおかしくなっています。

 

自分のできる事と出来ないことが

分からなくなっているのです。

 

 

点滴をしたまま

萎えた足で立ち上がろうとし、

点滴を引き抜いてしまうので

シーツや衣類が血だらけになります。

 

自分で立ち上がるのは

不可能なほど足が弱っていることを

忘れてしまい、

立ち上がろうとするのです。

 

危ないから

1人で立ち上がってはダメだと

言っても言っても

理解してくれません。

 

看護師さんの目の行き届かない夜は

ベッドに拘束されます。

ますます父は人間扱いされないと言って

怒り心頭です。

 

入念なシミュレーション

 

父は自分1人で立ち上がれるように

私に車椅子の位置を細かく指示し

何度も立ち上がりの

シミュレーションをしていました。

 

 

「立ち上がってはダメ」

と説得したって

もう父の頭では

それが理解できません。

 

もう説得は諦めて、

私は父に言われるまま

2センチ単位で車椅子の位置を

調整してあげました。

 

30分くらい微調整を繰り返し

父は

「よし、これならいい」

と言いました。

 

けれど・・

そして私が帰ろうとして

父の病室から出た直後

入れ替わりに看護師さんが

入って行ったのが見えました。

 

カーテンの向こうで

「あら こんなこと」と言いながら

父が苦心して位置決めをした車椅子を

動かす音が聞こえました。

 

 

私はもう、父の病室に戻って

車椅子をもう1度配置し直すことは

しませんでした。

 

やはりベッドの傍に車椅子があると

父がいつ立ち上がろうとするか

分からないから。

 

病院からの帰り

私は少し

悲しい気持ちになりました。

 

今晩も、いくら父が嫌だと主張しても

ベッドに手足を拘束されるでしょう。

父が言うことを聞かず

勝手に立ち上がろうとするからです。

 

人間の分際で思いあがった願い

父も辛いと思います。

何1つも、誰1人にも、

自分の主張が届く事は

無いのです。

 

 

生きていることが

楽しくはないでしょう。

 

父の事を

「生きているのは

可哀そう」と思うのは

やはり傲慢な事なのでしょうね。

 

痩せて小さくなった顔

落ちくぼんだ目は

きっと今晩も怒りに燃えると思います。

 

これ以上入院させておくと

また不穏になり

爆発するかもしれません。

 

 

今、

私がなんとかしてあげることは

できません。

私のコントロール外のことです。

 

頭では分かっていても

やはり悲しいです。

神様、もう父を死なせてあげて下さいと

祈りそうになります。

 

そんな事は

人間の分際で

思いあがった願いでしょう。

 

それでも私の「ハッピーで大事な人生」

暮らしていくって

色んな事が

ありますね。

 

様々な体験を重ねながら

私は自分の楽しい事、明るい事を

求めて暮らしていきます。

 

自分の暮らしや命を大事にするのは

他の誰でもない、自分の役割。

私は自分で充実した人生を

作っていくつもりです。

 

父にしてあげられる事はしてあげて、

してあげられない悲しさには

飲み込まれないように

暮らしていきます。

 

 

悲しみや喜び。

それを味わえるのも

生きているからこそ。

 

様々な感情をひっくるめて

ハッピーな人生と言って

良いと思います。

 

 

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