いかがお過ごしですか?
今日も頑張ってらっしゃることと思います。
母が寝たきりになり、父の精神がそれに耐えられず
引っ越しすることになった時のお話です。
目次
**子供を育ててきた家
今まで2人で築き上げて来たもの。
真面目に働いて、節約して、
私たち子供を育ててきた家。
その中に意味もなく存在するような
紙切れ一枚も
私の幼い頃の殴り書きの絵だったりして、
そういう思い出の集合体が両親の人生だったと思います。
両親だけでなく 私もそうです。
子供らを育てる途中で出てくる
他の人にはゴミでしかないもの。
折り紙に書いた幼い字の手紙や
たくさん貼ったシールの跡。
子ども達はもう大人になり
あの頃の小さな子供は私の記憶の中でだけ瑞々しく存在しています。
その思い出が今までの私の人生です。
**家の処分
家を処分するというのは切ないものです。
親が亡くなった後でも同じことでしょうね。
家族が暮らした証拠を心を無にして
どんどん捨てていかなくてはなりません。
**全部捨てました
母は食器が好きでした。
白色で形が繊細で 縁が金色のもの。
それが母の好みでした。
紅茶のセットとか、お皿の6枚揃えだとか。
あるいは花器だとか。
節約家の母が少しずつ集めて 大事にしていた食器も 全部捨てました。
取っておきたかったけど 無理なのです。
取っておきたいものは家一軒の中のもの全てだし
もう両親の状態は緊急を要していましたから。
**何も欲しくない
私は実家の処分をした後、
なんだか虚しくなり、なにも欲しくなくなりました。
食器、繊細な洋服、お洒落な靴、何か美しいもの、可愛いもの。
何も。
両親が引っ越しする時に選んだ引っ越し荷物は、
布団、邪魔にならない軽くて小さいテーブル、
コップ、お茶碗、お皿、お箸、下着、遠慮なく着られる丈夫な服、爪きり・・・。
つまらない、身の回りのものだけです。
**親の人生と私の人生
その頃、「〇〇のティーセットが欲しいの・・。」
という友達には心の中で
「この人は人生の拡大期なんだ」
と思ったものです。
私だって子供がまだ小さく、自分も若く、人生の拡大期だったのに。
ただただもう、虚しくなってしまって。
親の人生と自分の人生を混同してしまっていたのだと思います。
**泣きそうになるから
引っ越してから 事情が飲み込めなかった父が何度も
「あのテーブルも捨てたのか!?」「あの 絵画の全集も全部か?」
と私を責めましたが
その度に「うん」としか、答えられませんでした。
何か答えようとすると 泣きそうになったからです。