親子関係は濃いからこそ難しい・・父に関する私の失敗

介護問題

目次

胃ろうで長らえる命

私の父は老人ホームに居ます。

何度も危篤状態になり

その途中で胃ろうの手術をしました。

 

胃の所に穴をあけ、

そこから栄養たっぷりの

ドロドロした液体を流し込みます。

 

その手術の判断は

私がしました。

 

その時に胃ろうをしなければ

父は5~6年前には

亡くなっていたと思います。

 

胃ろうをするにせよ、しないにせよ

はっきりとした強さを持たず

決断してしまった事は

今でも私の心に苦さを残しています。

 

胃ろうをする前も

どんどん頭と体が弱っていく父は

その恐怖や悲しさを克服したかったのか

私に向かって嫌味と暴言を吐いていました。

 

脳の機能も衰えていたのだと思います。

 

元々は見た目の良い

朗らかな所のある父でしたし、

私以外の人、ヘルパーさんや妹には

明るく、人格者のような素振りをしていました。

 

何度目かの危篤状態の後

父はまた復活しました。

けれど脳の衰えは加速していきます。

食べたという妄想

先日、老人ホームを訪れた私に

父は「お昼ご飯を食べた」

「でも、今度(たぶん夕食の事)は食べれない」

と言うのです。

 

もう発する言葉も曖昧で

私に向かって暴言を吐く元気も有りません。

 

そんな父が必死で

「今日、お昼ご飯を食べた」と

何度も私に告げました。

 

もう父に嚥下機能は無いので

他の入所者が食事する時は

辛いだろうから・・と、

食事時間には自分の部屋に

帰されている父です。

 

多分、ご飯を食べる夢を

現実と勘違いしたのか、

それとも父の衰えた脳が

渇望を本当にあった事と勘違いしたのか・・

 

「ご飯を食べた」と

父は言うのです。

父から受け取る悲しさ

私は「ああ、ご飯が食べたいんだ」と思い

泣きそうになるのを堪えました。

 

もしも泣いたって、

今の父にはほとんど見えないし、

補聴器を付けなければ音も聞こえないのだから

別に泣いても良かったのですけど。

 

でも「憐れだ」と思って

泣いてしまうと、

父が可哀そう過ぎる

気がしたのです。

 

父は、

「ご飯を食べた。」

「今度は食べれない。分からない。」

「お昼ご飯を食べた。」

と繰り返します。

 

私は補聴器を父の耳に着け・・

 

「良かったね!だいぶ

 回復してきたんじゃない?」

「もう少しで毎回食べれるように

 なると思うよ。」

 

「夕ご飯はほら、量が多いから、

 いきなりは無理なのよ。」

「ちょっとずつ慣らしていくって

 看護婦さんも言ってたよ。」

 

この手の嘘は

何度も何度もついてきたので

スラスラと口に出ます。

 

父の気を逸らすような

仏教の話や昔話などに

話題を変えようと

私も頑張ってみましたが・・

 

父は

「ご飯を食べた」

「今度は食べれない」

「分からない」と

繰り返します。

 

目も見えない、耳も聞こえない

身体も動かない父だから

肺炎覚悟で思いっきりご飯を

口に含ませてあげたいとも思いました。

 

けれど その1口は

肺炎と入院に直結します。

入院中の父の不穏は

本人が辛過ぎるのです。

 

もう父は私に対して

暴言を吐く能力は有りません。

けれどまた別の悲しさを

私は父から受け取ります。

蘇る夏休みの思い出

父の部屋で2時間を過ごし、

老人ホームから屋外へ出ました。

外ではツクツクボウシが

鳴いていました。

 

その鳴き声を聞いて

私は自分が急に子供に戻ったような

気がしました。

 

夏休み・・

 

やせっぽちで小さな子供の私を

父は自分の大きな背中にしがみつかせて

海を悠々と泳いでいた・・

その映像が頭に蘇りました。

 

父は水泳が得意でした。

「海亀ごっこ」と言って

海に行く度に私を背中に乗せて

遠くまで泳いでくれました。

 

私は、

とても愛されていた。

 

私はとても父に

愛されていたんだ・・

それを思い出しました。

私は特別な存在だった

父の暴言が私にだけ向かった事。

それは私が父にとって

特別な子供だったからだ、

そう思いました。

 

父にとっては妹よりも

いつも私が1番でした。

 

油絵を教えるのも、

デッサンの手ほどきも、

港に舟を描きに行くのも

いつも2人だったのです。

 

その良い思い出も

私はすっかり忘れていました。

 

妹よりも私の方が

父の老いで苦しんだのは

当然の事のような気がします。

 

父の華やかだった人生の

終着地点が今だとすると

その理由は父自身である事は

間違いないとは思います。

 

でも私も、

父に愛されている事を忘れて

ただただ父を疎ましく、

もう死んだらいいのに、と思っていました。

 

愛を与えられた者として

それは申し訳ない

恥ずかしい事でした。

父の間違いと、私の間違い

父が私に暴言を吐き

憎んでいるかのように

嫌味を言い続けたのは

私に助けて貰いたかったのでしょう。

 

老いの流れの中で

父はもがいていたのです。

 

けれど、

救いを人にだけ求めた所が

父の弱さ、間違いだった

と思います。

 

私も父の辛さを

自分の責任であるかのように感じ

長い間苦しんでいました。

 

それは、私の間違いです。

 

私がこう思えるようになったのは

父をホームに預けたから

かも知れません。

 

離れないと

思い出せない、

気づけない・・

そんな事も有りますね。

 

親子関係は濃いからこそ

難しいと思います。