介護は後手後手でいいと思います。

介護問題

いかがお過ごしですか?

このブログに来てくださって

ありがとうございます。

 

今日は母が寝たきりになると分かった時

私がしてしまった失敗のことを

書きたいと思います。

 

目次

パーキンソン病の発症

母がパーキンソン病を発症したのは

60歳の時でした。

その頃私は30歳で

まだ子供も産んでいませんでした。

 

自分の母親がそんなに早く

不治の病にかかるなんて

思ってもいませんでした。

 

医学の知識がまるで無い私は

夫の実家にあった

「家庭の医学」という分厚い本で

パーキンソン病について調べました。

一生懸命読んで

「完治する」ということは

期待できないことが分かりました。

 

それでも 私は脳天気な所があるので

何か適切な対応をしたら

病状の進行を抑えたり

不便はあっても普通の暮らしができるかも・・

と思っていました。

 

早めに手を打つために

「さあ、よく考えなくちゃ。

早めに手を打てば治らないまでも

今のまま暮らせるかもしれない。」

と思いました。

 

ここが 私の失敗です。

「早めに手を打てば」

の所です。

 

私は「早めに手を打つ」ために

四六時中 母の病状がどんどん悪化することを

想像していたのです。

 

実際にはまだ自分で歩くこともできたのに

「歩けなくなったら、手すりはあそことあそこに

取り付けなくちゃ」とか。

 

まだなんとかお箸で食事ができている時も

「お箸が持てなくなったら

障害者用のあのスプーンがいいはず」

とか。

 

母の病状が進んだ時の事ばかりを

想像していたのです。

そして 想像しては1人で大変がったり

悲しくなったりしていたのです。

 

ですから 実際に母が寝たきりになる前から

私は頭の中で 母を寝たきりにしていたのです。

母に対して、申し訳ない失礼なことでした。

 

過去を思い出して悲しみ、未来を想像して悲しむ

私はフライングして 悲しんでいました。

 

病気になる前の

手先が器用でしっかり者だった母を

思い出しては悲しみ、

これからの寝たきりを想像しては

悲しむ。

 

パーキンソン病よりも

認知症を患う親を持つ人の方が

そんな思いはもっと強いかもしれません。

 

でも昔や未来を思っての悲しみは

頭の中の想像の上に自分が組み立てた悲しみです。

今現在の事についての悲しみではありません。

 

病気というのは現状だけでも悲しいものです。

私は過去と未来を自分で寄せ集めて

悲しみを3倍にしていました。

 

介護の準備は後手後手でいい

寝たきりを悲しむのは

寝たきりになってからで

充分だったと思います。

 

まだ少しは歩けていた、

その時の状態だけを

見れば良かったと思います。

ですから私は

介護の準備は

後手後手でいいと思います。

 

早くから準備しても

病気の進行を遅らせることは

できないような気がします。

 

少なくとも

私の母の場合はそうでした。

 

早めに準備したからと言って

病気の進み具合は

遅くはなりませんでした。

 

現状を良く見て

立ち上がりが難しいなと感じた時に、

手すりを買えば良かったなと

思います。

 

そんなに早くから準備しておかなくても

アマゾンさんでポチッとすれば

すぐに配達してもらえます。

 

今だけを見て、今の悲しみだけを悲しんでください

今、介護で悲しい方に言いたいです。

先走って 悲しまないでくださいね。

昔と比べて 悲しまないでくださいね。

 

「今」のお父さんお母さんを見て、

困ったり、悲しんだりするだけでも

充分に大変なことです。

 

どうぞ、悲しみを増やさないでください。

それでなくてもあなたの心は

たくさんの負担を抱えています。

 

悲しみは少ない方がいいと思います。

その方が 元気が出しやすいですから。

 

遠く、田舎の片隅から

あなたの頑張りを応援しています。

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