普通の親でも介護が長引くと
辛いものです。
もしも、毒親の介護であれば
あなたの心を完全に殺してしまいかねません。
毒親の悪影響を受けて来た人は
優しい人が多いです。
そして親の介護をする人は
子供の頃から兄弟の中で
1番の毒親の被害者である事も多いです。
その優しさ故に毒親の介護を担当し、
辛い思いをしている人も
いらっしゃると思います。
そんな人に
辛くて辛くて、笑ってしまった、
私の経験をシェア致します。
目次
老いた親の手足をベッドに括りつけて、笑った私の経験
肺炎で入院した父が観察室に・・
父が肺炎で入院した病院では、
病室で点滴の管を
自分で引き抜いたり、
大声を出して他の患者さんに
迷惑をかける老人を
ナースステーション横の
観察室で看護します。
その日、私が病院に行くと
父は観察室に移されていて、
手首と足首をベッドの柵に
くくりつけられていました。
肺炎にも関わらず
ベッドの上で運動しようとして
点滴をはずしてしまい、
ベッドは血だらけになったとの事。
その為 夜中に
観察室に移されたらしいです。
総入れ歯を外され、
何を言ってるか分からない父は
死の直前のうわ言を
言っている様に見えました。
私を見ると興奮して
フガフガと話しかけます。
入歯を入れてあげると
「背中や腕が腐りかけているので
乾布摩擦をしてくれ」
と言うのです。
観察室の同居人
観察室には他に
2人のお婆さんが居ました。
「看護婦さあああん、
看護婦さああああん!!!
痛い~~~。これを外して~~~」
と叫ぶお婆さんが1人。
もう1人は
「厠に連れて行ってください。
どうしてこのような
虐待をするのですか!」
「人間を依怙贔屓してはいけません。
例え天皇陛下であろうと
このようなことは絶対
神様が許しません。」
「長年の習慣で
厠じゃないとおしっこが出ません。」
と、断固抗議している
お婆さんです。
「痛い~~」と絶叫する
お婆さんは、
どこにも繋がれていないし、
凛とした声で抗議している
お婆さんは
導尿されているので
トイレに行く必要は無いのです。
父も含めて3人とも
ものすごく痩せていて、
肌蹴た胸の肋骨が見えて、
その時
私の頭には
「老いさらばえる」と言う
言葉が浮かんできました。
私の存在が老人達を刺激した
どうも私が観察室に入って来て
父の世話をしていることが
2人のお婆さんの感情を
刺激してしまったらしいのです。
叫ぶお婆さんは
ひっきりなしに叫んで
私に助けを求めるし、
抗議と説教するお婆さんは
ますます大きな声で
人としての道を説き始めます。
こりゃ参ったなあと思いました。
そしたら説教ばあさんの声音が
ガラリと変わり・・
「あら、美しい人が手招きしてる。
なんて美しい所。
丸顔で、笑っている」
とか言いだしました。
私はゾクッとして
「ありゃ、死ぬのかな?」
とお婆さんを見ました。
焦点の定まらぬ目をした
お婆さんの喋りは続きます。
「ああ、誰かおじい様の声が聞こえる。
なんて暖かい声でしょう。
まああああ、すごい。
人徳でしょうね。声で分かる。」
へ???
暖かいおじい様の声って
うちの父の声のこと?
乾布摩擦をせい!と
フガフガ言ってる、この声?
呼応し始める2人
もう1人のお婆さんも負けじと
「早く~~、
痛い~~~痛い~~~
これをはずしてくださあああああい」
と叫び返します。
婆1:
「あらまあ、今度は女の人の声が。
鈴を転がすような、玉のような声。
素晴らしい。」
婆2:
自分の事だと分かったようで、
さらに大声で、
「痛い~~、痛い~~、
眼鏡~~~~~
眼鏡が無い~~」
婆1:
「なんて美しい声でしょう。
お人柄がにじみ出てます。」
婆2:
何故かちょっと気取った声になり
「看護婦さあああん、
看護婦さ~~~~~ん」
婆1:
「まあああ、さすが~。
鈴を転がす~~~」
2人のお婆さんが
大声で呼応し始めたのです。
大笑いしたって構わないや
それまでその観察室の
独特なニオイと
けたたましい老人の声に
辟易して・・
「これ以上、耐えられない!」
と思っていたんですけど・・
もう、笑っちゃいました。
「いいやもう、
大笑いしたって構わないや」
そう思いました。
しばらくすると
美しい声を褒め称えていた
おばあさん(婆1の方)は
自分のオシッコの事を思い出したようでした。
「人間の嫉み、妬み、
そのようなものを神様が
どう観られるか!」
「それをちゃんと
分からなきゃいけない。
だれでも平等!」
「早くぅ、はやくぅ、
おしっこに連れてってくださ~~~~い」
と けたたましく
喚き始めました。
私は その大声を
背中で聞きながら
「耳の周りを布で擦れ。
肩甲骨の後ろを擦れ。
もっと力を入れろ」
「身体が腐る、腐る、
大変なことになる!!」
と、フガフガ言っている
父の言うとおりに
乾布摩擦をしてあげました。
笑ってなきゃやってられない
私は病院から帰る時に
父がまた点滴針を引き抜いて
怪我をしないように
元通りに手足をベッドの柵に
括りつけようとしました。
もちろん父が
了承するワケが有りません。
30~40分説得しましたが、
私は疲れてしまいました。
もう説得は諦め、
父の左手と左足首のバンドを
力づくで柵に括りつけました。
筋肉の無い、細い手足は
非力な私でもたやすく
思い通りになりました。
縛り付けたと言って
血相変えて怒っている父に
背を向け、
お婆さん達の
絶叫を聞きながら
スタスタと観察室を
後にしました。
その時、笑えてきました。
いいえ、正確には
無理に笑いました。
自分の心を殺してしまうよりは・・
老いるというのは醜いし、
恥ずかしいし、大迷惑だし、
可笑しいです。
誰でも、老いていきます。
だから
人の老いを笑っちゃいけないと
ずっとずっと思ってました。
でも・・
笑ってなきゃ
やってられない時も有りますね。
自分の心を殺してしまうよりは
年老いた毒親を笑っても良いし、
嫌っても良いし、
馬鹿にしても良いと思います。
今、介護で疲れている人は、
あまり深く考えないで!
出来るだけ笑って、
心をうやむやにしながら
感情を流して行かなければ
心がやられてしまいます。
毒親の介護は必ずしも
しなければいけない、
と言う事は有りません。
あなたが親の事を見なくても
老いた毒親を
何とかしてくれるシステムが
この国には有ります。
けれど自分が
毒親を介護すると決めて、
それを実行している人は
親を嫌い、罵る自分を赦して下さい。
親を嫌っても呪っても
バカにしても笑ってもいいから
どうか自分を責めないように
して下さい。
毒親と絶縁するのも辛いし
毒親の介護をするのも
辛い事です。
「親は生きててくれるだけでいい」
とか
「誰でも年は取るのだから」
とか・・
美辞麗句は無視していいです。
立派な人でなくていいです。
ただ、
介護の時間を
なんとかやり過ごし、
できるだけ笑って暮らして下さい。
親との絶縁で傷ついたあなたも
親の介護で疲れ果てたあなたも
あなたが自分を大事にしている限り、
神様は赦してくださいます。
私も介護中は何度も親を恨みました。
それでも自分を責めて
自分の心を殺してしまうよりは、
ずっとマシだったと思っています。
親に会いに行く度に辛くてたまらないのに
それでも毎日、親に会いに行き、
自分の心をボロボロにしている人は
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