私の父は、今、91歳です。
喋れる間は直接介護してくれる
ヘルパーさんに対する文句や
訪れる私への嫌味を
私にこぼしていました。
どれだけ効果的な嫌味を人に言うか
そういう事に頭を使っていたように
思います。
今は・・
人工呼吸器こそ付けていないものの
息をするのが精いっぱいで
誰の悪口も言えなくなりました。
カラカラの口で
ヒューッハァァァ
ヒューッハァァァと
息をしています。
1日の大半 眠っていて
合計1時間だけ、車椅子に座ります。
もう飲み込みは
だいぶ前から出来ないので
お腹に開けた穴から
水でも、栄養分でも流し込みます。
トイレはもう、行けませんから
オムツの中に垂れ流しです。
可哀想に、と思いますが、
そう思うのも可哀想だな、と思います。
虚勢を張りたい父でした。
いくら意識が朦朧としていても
人から憐みを受けるなんて
きっと父のプライドが許さないでしょう。
座って、喋れていた頃は
人の立ち居振る舞い、
言葉の間違い、考えの浅はかさなどを
私の前でだけ、馬鹿にしていました。
そのくせ、他の人の前では
事有るごとに手を合わせ
「有難い、有難い」と
お念仏のように唱えていました。
私は実の父親が
そういう裏表のある人間なのが
悲しかったけど、
「きっと父も辛いのだろう」と
我慢していました。
けれどやはりストレスを感じていて、
父の事を思い出す度、
自分の顔が険しくなるのを
知っていました。
「親は生きてくれてるだけで
有難いものよ」と
よく年上の知り合いから
諭されましたが、
正直言うと、そう思った事は
有りありません。
父は何度も何度も入院し、
今度こそ死ぬかも・・という状態から
復活して来ました。
私も以前は
「父や母が何時どうなるか分からないから」
という理由で
自分のやりたい事を先延ばしに
して来ました。
それが結局、20年以上
続きました。
そうするうちに
私は自分で何がしたいのか、
分からなくなってしまったのです。
何かしたい、と思う元気が
無くなってしまったのだと
思います。
何も欲しくない、
何処にも行きたくない、
もしも出来る事なら
布団の中でずっと眠っていたい、
その内 自分の寿命が尽きればいい、
と思っていました。
父は自分の老いを受け入れる事に
耐えられなかったのか
人を貶すことで
自分の優位性を守ろうとしていました。
私は父の気持ちが分かり過ぎて
痛々しくて、
父のヘンテコなプライドを
許してしまいました。
自分が貶される事にも
我慢していました。
私は間違っていたと
思います。
相手がどんな状態であれ、
自分を傷つけられ、
怒りが湧いた時には
その都度 ちゃんと怒るべきでした。
それは自分を大事にする、
という事です。
でもある時から、私の我慢する心が
プツっと切れてしまいました。
「死んだら死んだ時」
「看取れないからって、
なんだって言うんだろう」
「それより何より、
今の自分の命を大事にしないと
父よりも私が先に死ぬかも知れない」
と思い始めました。
先に亡くなった母は
とても地味な人でしたが
自分が死んだ後のお金の事について
緻密に計算していましたし、
父自身も金銭面では
きっちりしていました。
それは本当に有難い事です。
私は金銭面で
親の事を苦に思った事は
有りません。
お陰でちゃんとした施設に
父を預ける事が出来ました。
だから、私の心は
何とか復活出来たのだと思います。
こうしてブログを書いている間も
父は「ヒューーッハアァァ」
「ヒューーッハアァァ」と
苦しみながら生きています。
誰であっても老いは1人で背負うものです。
子供だからと言って
「自分が何とかしてあげよう」
と思う必要は有りません。
必要もないし、不可能です。
もう1度書かせて下さい。
誰の老いであっても
何とかするのは不可能なのです。
全員、淡々と老いて
1人で死んでいくだけですから
死ぬまでの間の自分の命を
出来るだけ輝かせる事に
自分のエネルギーを使うのが
良いのではないかな?と思います。
親の事、自分の時間(=命)の事、
自分を大事にする事・・
そんな事で散々失敗してきた私の
独り言でした。
もしも親の事で
自分1人で抱えきれない
辛さを持っていらっしゃれば
ぜひご相談下さい。
何かお役に立てるかも知れません。