入退院を繰り返す親・・老人介護のストレスから自分を守る為には?

親子問題

先日から

誤嚥性肺炎で父が

入退院をくりかえしています。

 

ずいぶん長い事

私は父に言われる言葉に

泣いてきました。

 

目次

若い頃の父親

 

私の父は若い頃

田舎の秀才で、少し有名で

教師を天職としていました。

 

父の教え子さん達は

父が90歳になった今も

年賀状をくださいます。

 

 

背が高く、まあまあ見た目も良く

なんだか派手で

大人気の先生だったのです。

 

私も子供の頃は

そんな父が自慢でしたし

友達からも「いいなあ!」

と言われていました。

 

お山の大将のまま老いた父

お山の大将と言うのか、

生徒達に人気だった父は

大きな勘違いを修正しないまま

老人になりました。

 

私の母は地味で大人しい人でしたから

父の心の成長に貢献することは

出来なかったのだと思います。

 

「悪妻は夫を哲学者にする」

なんて言いますが、

言わばその逆ですね。

 

 

威張ったお山の大将のまま

父は体や心が老いていきました。

 

それでも母が生きていた頃は

まだマシでした。

威張らせてくれる人がいたからです。

 

過去の栄光に固執する老人

 

自分の生まれ育った土地からも離れ、

母も亡くなり、

誰も「先生」とは呼んでくれなくなって・・

 

父は過去の栄光に固執するようになったと

思います。

 

何もかもが上手くいかなくなった父が

したことは

人を馬鹿にして自分の優位性を保つ、

と言う事でした。

 

最も近くに居て

自分を見捨てないであろう娘の私に 

その矛先は向かいました。

 

溺れていく老人が掴むもの

 

可哀そうに、父は「老い」という川に

溺れそうになりながら

手当たり次第岸辺の草をつかんで

川から這い上がろうとしていました。

 

 

そんなことをしても

這い上がれるわけがないのに

父はその努力をやめませんでした。

 

私の心がむしり取られる岸辺の草です。

私に暴言を吐いたり

無知を笑う時だけ

少し生き生きしていました。

 

私は昔の颯爽として明るかった父と

老いてからの情けない心根の父との、

そのギャップに傷ついていました。

 

とても辛くて毎日泣いていました。

 

 

自分の心を守る為に必要な事

 

けれど、私は今

その辛さから解放されています。

 

その大きな理由は

私が気学とお師匠さんに出会ったことです。

 

気学の知恵と、その心構えが

私を少し強くしてくれました。

 

「全ての事が自己責任である」

というのは

私のお師匠さんが最も力を入れて

教えて下さる心構えです。

 

父の人生は父が作り上げて来た物。

そして私の人生は私が作り上げて行く物。

それぞれの人生はそれぞれの

「自己責任」です。

 

父が今、ヘルパーさんや私に

不平不満いっぱいで

辛い暮らしをしているのは

父が作り上げた人生です。

 

可哀そうですが

私には父の人生の尻ぬぐいは

出来ないのです。

 

出来ない事をやろう、

今だけは我慢してあげよう、

そう思って

私は自分で自分の首を絞めて

いたのでした。

 

「自己責任」の考え方を知らなければ

今でも私は

父の言葉に傷ついていたでしょう。

 

そして、

助けてくれない妹を恨みながら

毎日暮らしていたと思います。

 

 

もちろん

父の世話はこれまで通り

担当していく事になるでしょう。

 

でも「自己責任」という考え方を

知った事で

必要以上に私の肩に力が入っていた事に

気付きました。

 

父は自分が作り上げてきた人生の

責任を取る必要が有ります。

私はほんの少し、

お手伝いをするだけです。

 

そう考えてからは

「生」と「死」のギリギリを生きる父も

私にとっては貴重な教えをくれる人だったのだと

思えるようになりました。

 

父が死んだら

私は泣くのかな?と考えています。

 

その時、

爽やかに泣けたら嬉しいなと思いますし

今ならきっとそうできると思います。

 

 

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