自分に最後に残るもの。

日々の気づき

いかがお過ごしですか。

今日も頑張っていらっしゃることと思います。

 

知らない人のお葬式

先日、お葬式に行ってきました。

と言っても、ご近所で病院をされている、

その院長先生の奥さんのお母さん(98才)のお葬式です

 

私は一面識もないのですが、そこは田舎のことです、

町内会の付き合いというもの。

 

亡くなられた方はその病院が経営する老人施設に

暮らしていらっしゃったそうです。

 

98才の人のお葬式というのは静かなもので

親戚の中でも最長老。

もう泣く人も一人もいらっしゃいませんでした。

 

穏やかに淡々と式は進みました。

 

喪主の方の挨拶も

「100才までいくかなあと思っていましたが

いかなかったですねー。」

と、呑気な感じ。

 

安心して天国へ

遺影のこの穏やかな顔のお婆さんは

どんなふうな人生を送られたんでしょう。

戦時中の大変な時期に子供を育て

きっと苦労もされたことでしょう。

 

亡くなったら自分のお葬式を自分で見て

あ、自分は死んだんだな、と理解するということを

どこかで聞いたことがあります。

 

人生が終わり、自分のお葬式を自分で見て、

子どもや孫がこんなにもへっちゃらなのを見たら

きっと安心して天国に行かれるだろう、

そう思いました。

 

最後に残っているものが・・

周りの人にさんざんお世話になる状態まで長生きして、

遺した者たちを心配せず執着なく死ぬ。

それは大往生です。

 

自分が動けなくなって、人からお世話や愛情をもらった時・・・

 

代わりに人にあげられるのは

もう、笑顔と「ありがとう」の言葉だけです。

 

頭や体が病気になっても、自分に最後に残るのが

「ありがとう」と「笑顔」でありますように。

 

どうか、そんな自分になれますように。