いかがお過ごしですか?
このブログを訪れて下さって
ありがとうございます。
私は以前 とても仲の良い
ヤンママがいました。
彼女はお姑さんとも
上手に付き合っていました。
でも・・・。
目次
ヤンママと初めて会ったのは公園。
私がそのヤンママと仲良くなったのは
私の第1子(男)と彼女の第2子(男)が
同じ誕生日だったからです。
初めて会ったのは近所の公園でした。
ヤンママと私は 確か13歳年が離れていたと
思います。
私は結婚も早くなかったし
子供を授かるのも遅かったのです。
彼女の子育て
彼女は第1子(女)は17歳位で
産んでいました。
初めて会った時は彼女は19歳か20歳でした。
私は彼女の子育てを尊敬していました。
そのうち、ここで書くかもしれません。
中学校にもほとんど通わなかった彼女は
本を読むと頭痛がするので
本は1冊も読まないと言っていました。
だから子育ては経験者に聞くか
自分がじっと子供を観察して
自分の考えで判断するかの
どちらかです。
私は年を取ってから待望の子供を
授かりましたので
生まれる前から育児書をたくさん読んで
知識だけは持っていました。
けれど子育てには
本に書いてある一般論なんか
何の役にも立ちませんでした。
名古屋からひょいとやってきた彼女
名古屋生まれの彼女は
ある日知り合ったトラックの運転手さんの
トラックに乗り、
そのまま遠い地にやってきたのです。
そしてその運転手さんの実家で一緒に暮らし始め、
妊娠、結婚、出産の
超スピードで母親になったのでした。
最初からお姑さんと同居でした。
その時のお姑さんの気持ちを考えると
思わずニヤニヤしてしまいます。
(他人事なので・・ごめんなさい!!)
だって いつものように
息子がトラック運転の仕事に行って、
帰ってきたら若い女の子が車に乗っているのです。
そしてその日から同居開始。
お姑さんは
「なんも言えねえ!」と
心で叫んでいたかもしれません。
ヤンママの行動はひとつひとつが
私の想像を超えていて、
世間体や常識に囚われていた私は
何かスカっとするものを感じていました。
姑の気持ち
今となってはお姑さんの気持ちが
私にはよく分かります。
なんとかヤンママを受け入れようと
されていました。
ご主人を早く亡くされ
1人で一生懸命育ててきた、
可愛い息子のためなのです。
それにヤンママも
すぐに可愛い孫を産み、
子育てについて
なんやかやと姑の自分を頼ってくれるのです。
1度お姑さんとお話しした時に
こう仰いました。
「あの子は何にも知らないけど
なんでも私に聞いてくれるの。
ご飯の作り方も赤ちゃんの事も。
お仏壇の参り方も、お茶の入れ方も。」
「呆れることもあるけど
毎日一生懸命してくれるのよ。」
「亡くなった主人に
手を合わせているのを見ると
可愛いなあって思うの。」
私はそれを聞いて、
自分はお姑さんに特に何も聞くこともせず
嫁としてまるで可愛げが無いだろうな、
と反省しました。
明るい公園で聞いたヤンママの本音
いつものように公園でヤンママに会い
子供を見守りながら、
育児についていろいろと
意見交換をしていました。
私はふと思い出して、こう言いました。
「お姑さんがあなたのこと
褒めてたよ。」
「毎日毎日 あったこともないお義父さんに
お茶とご飯を供えて
お参りしてるんだってね。」
「私、そんなことした事無いわ。
あなた、ほんとに偉いねえ!!」と。
するとヤンママは
「うん。朝も晩もお参りしてる。」
「お義父さん、お義母さんを
早く連れに来て!
早く早く早く!って。」
と言いました。
「えええええっっ!?」
本当に驚きましたけど
私は何故かものすごく楽しい気持ちになってしまって
「わっはっはっはっ!!」
と2人で笑いあいました。
不謹慎なことですけど、
何かカラっと明るい彼女の言葉が
その頃1人で育児を抱え込んで苦しかった私には
爽やかに感じられたのです。
明るい公園の
3歳のフワフワした髪の女の子1人と
1歳のよちよち歩きの男の子2人。
そして高齢出産をした私と
名古屋からヒョイとやってきた
二十歳そこそこのヤンママと。
思い出すと
やっぱり幸せな気持ちになります。
ヤンママは離婚して故郷へ
また彼女に会いたいけれど
笑いあった10年後位に
彼女はご主人とは離婚して
子供を連れて名古屋に帰ってしまいました。
私に無いものをいっぱい持った
素敵な人でした。
思い出すと温かい気持ちになるのは
彼女の人柄が温かかったからだと
思います。
一緒にいると
あなたの心を癒してくれ、
あなたの人生や考え方に
大変革をもたらしてくれる人が
分かります。