障害の残った子と恨みの残った母

嫁姑問題

いかがお過ごしですか?

このブログに来て下さり

ありがとうございます。

 

難産の為に娘さんに障害が残った方の

お話です。

 

目次

ハツラツとした人

その方は以前 私の小さな教室に

来ていらっしゃった方です。

当時60代中盤だったY子さんです。

 

Y子さんはハツラツとした、

保険の外交員をしている人です。

 

付き合いが長くなるにつれ

少しずつ自分のこと、

「ハツラツ」だけではない、心の奥のことを

話して下さるようになりました。

 

農家の嫁

Y子さんは農家にお嫁に入られました。

当時 既にお舅さんは亡くなられていて

お姑さんとY子さんご夫婦の

3人暮らしが始まりました。

 

ご主人は会社勤めでしたので

普段の田んぼや畑の仕事は

お姑さんとY子さんが担当です。

 

Y子さんは間もなく妊娠し、

多少の悪阻はあったのですが

身体は元気でしたので

変わらず農作業をしていました。

 

しかし臨月になると

元気自慢のY子さんも農作業を続けるのは

苦しくなってきました。

 

お姑さんに農作業を休ませて欲しいと言っても

許してもらえません。

 

妊娠と農作業

「妊娠も出産も病気じゃないよ。

私は出産の日も農作業してから産んだ。

甘えるにもほどがある。」

と厳しいのです。

 

若かったY子さんは

素直にお姑さんの言うことを聞いて

農作業をしていました。

 

予定日も近くなったある朝、

どうもお腹の調子がいつもと違うと

思ったそうです。

 

お姑さんにそれを告げると

「今頃の若い人はこれだから困る。

そのぐらいのことが我慢できずにどうするの。」

と怒られ やはりその日も農作業に出ました。

 

そして農作業中に破水。

 

お姑さんに救急車を呼んで欲しいと言うと

「みっともない。

昔は田んぼの農作業中に出産して

帰りは赤んぼと一緒に家に帰る人もいた。」

と、取り合ってくれません。

 

ここで産むしかない

1人ではもう動けないY子さんは

もうその場で産むしかないと

覚悟しました。

 

でも・・

出産は母も子も命懸けです。

誰もが正常分娩できるわけではありません。

 

赤ちゃんは産道で

引っかかってしまい、

やっとお姑さんが近所の人を呼びに行き

病院に運んでくれました。

 

脳に残った障害

生まれてきた赤ちゃんは

出産時の無酸素状態のために

脳に重い障害が残りました。

 

娘さんは障害者として施設に暮らし

結婚もしていないし

自分の子供を産むこともないまま

40歳を迎えました。

 

胸が締め付けられるようなお話を

Y子さんは

淡々と話して下さいました。

 

静かな口調から余計にY子さんの

怒りを感じました。

 

どうしても許せない

障害児の孫を可愛がらないお姑さんと

妻である自分を守ってくれない夫とは

もう暮らしていけないからと

お嬢さんと2人で家を出ました。

 

Y子さんは

「どうしてもどうしてもどうしても、

お姑さんを許すことはできない。」

と仰いました。

 

もう、あれから15年以上経ちます。

私が引っ越したので

Y子さんは教室に通えなくなり、

その後お会いしたことはありません。

 

どうしていらっしゃるかなあと思います。

そしてお嬢さんも、

どうしていらっしゃるでしょうか?

 

Y子さんは80代、お嬢さんは50代に

なられているはずです。

お姑さんは

もう亡くなられたと思います。

 

とても難しい事だと思いますが、

Y子さんは お姑さんを許せたでしょうか?

 

あの頃、私が気学を習っていたら

もっと前向きな言葉や、

Y子さんの気持ちを少しだけでも

軽くするような提案が浮かんでいたかもしれません。

 

けれど 当時の私は

Y子さんのお話を聞いて

ただ一緒に腹立たしく遣り切れない

気持ちになっただけでした。

 

今、Y子さんとお嬢さんが

幸せを感じて暮らしていらっしゃれば

いいなあと思います。

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